お布施の金額に決まりは?
仏典の中に、こんな話があります。
お釈迦さまが、あるとき祇園精舎という僧坊へお説法のためにおもむかれるにあたり、
夜道を無事にたどりついていただくよう、王様やお金持ちがあり余るお金で大量に
油を買い求め、沿道に灯篭をあかあかとともしたのですが、夜半すぎ、
突如、強い風が吹きぬけ、灯篭の灯が消えてしまったのです。
ところが不思議なことに、ある貧しい老女の、日々の暮らしをきりつめて求めた、
ささやかな油で点された灯篭だけは消えず、それどころか、あたりを真昼のように照らし出し、
おかげで無事にお釈迦さまは、祇園精舎に行きつかれたというのです。
今、一般に私たちが「お布施」と呼んでいるのは、お坊さんに形にあらわすことのできない
尊い仏法を施し(法施)ていただいたことに感謝して、在家の人々が形のあるものを
施す(財施)という、この財施を指しています。
この、法施に対して財施(お布施)が行われるというのがお布施のあり方で、
今の仏典のエピソードでもお分かりのように、
お布施というものは額の多少が問題ではありません。
その人の、できるかぎり精いっぱいの「真心」がこもっていることが、
何にもまして大切なのです。
このように、お布施はお坊さん対する、いわゆる労働報酬ではありませんから、
必然的に決まりなど存在するはずはないと言えるでしょう。
ところが、お布施にはきまりがないからこそ、どうすればいいか困る……という声が
一般に強いようです。けれども、何とか客観的に現実をながめて一つの基準を
出そうとしても、それは事実上、不可能なことです。
というのは、日頃から、農作物などを機会あるごとにお寺へ届けたり、
積極的に仏法の道場たるお寺の護持を行っている所とそうでない所とでは
お布施の額のニュアンスがかなり違ってきますし、土地のしきたりによっても異なりますから、
これらをおしなべて「平均値」を仮に出したとしても、何の意味もないからです。
あくまで「精いっぱいの真心」が大切で、お布施の額にきまりはありません。
ただ、新しく移った土地で、はじめて仏事をつとめるときなどは、
参考までに、その土地の人や、お寺の世話をなさっているかたなどに
たずねてみるといいでしょう。
なお、お布施の表書きは、「御布施」か「御法礼」でいいでしょう。