約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。昔は、穀物がたくさん取れるよう祈願したお祭りでしたが、今は社会の構造も様子も変わってきました。収穫をともに願い、祝うといったことからはじまった一年に一度の祭りは時代がかわり、社会が変わる中にあっても、人々の気持ちの根本に流れる「地域」を結びつける精神は、ずっとつながってきています。
「だんじり」とは、もともとお祭りのときに曳く出車(だし)や屋台(やたい)のことで、この車にいろいろなものを飾って、中に人が乗り、囃子(はやし)をします。
だんじりの大きさは、高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンで「けやき」で作られています。すべて釘を使わずに組み立てられています。
だんじりには、住吉型の「上(かみ)だんじり」に対し、岸和田型の「下(しも)だんじり」と大きく二つに分かれています。江戸時代は「三つ屋根だんじり」や「四つ屋根だんじり」があり、城門をくぐるために、屋根を上下にずらせる「からくりだんじり」などもありました。
周囲の彫り物は、源平合戦、大坂夏の陣など戦記物語の名場面を彫り上げた力作で、人馬とも精巧かつ力強く、すばらしいものです。
戦記・神話に題材をとったものでは、源義経、頼朝、豊太閤、徳川家康、織田信長、上杉謙信、武田信玄、そして大石内蔵助も登場。城下町きしわだを実感できます。
彫り物だけでなく、だんじりを飾る金綱、前旗、後旗、すべて金系・銀系で豪華絢爛です。江戸時代の文化が、現在も引き継がれてきました。
町によって違いますが、2本の綱の長さは、100m〜200m、ひき手は500〜1000人です。
日中は地車(だんじり)が勇壮、豪快に町中を駆け回り、特に勢いよく街角を直角に曲がる「やりまわし」は一番のみどころです。夜に入ると、地車は約200個の提灯に飾られて華麗な姿に変身します。提灯を揺らしながら夜の町を行く姿には情緒があり、ゆっくりと祭りの風情が楽しめます。
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