大阪仏具仏壇センター株式会社 越前屋

仏事Q&A

Q1.仏壇はいつごろから安置するようになったのですか?
仏壇の歴史は、大変古いものです。
たとえば、今からおよそ千三百年ほど前に記された「日本書紀」の中で、
天武天皇十三年(685)三月二十七日、「諸国の家毎に仏舎(ほとけのみや)をつくりて、
すなわち仏像および経を置き、礼拝供養せよ」と、
人々に呼びかけた天武天皇の詔をみても、そのことがわかります。

すでに当時、仏壇というものが存在していただけでなく、広く人々に、
仏壇を安置して仏教のみ教えをよく味わいなさいと奨励するぐらいですから、
もっと古くからあったものと思われます。

今、現存する最古の仏壇といえば、飛鳥時代の法隆寺「玉虫厨子」が有名です。

ところが、さきの天武天皇の詔にしたがい、多くの一般大衆がそのとおりに、
仏壇を家庭に安置して礼拝したのかというと、そうではなかったようです。

実際にはごく一部の人たちが、国司の庁舎などに持仏堂(じぶつどう)を作ったりして、
朝夕、おつとめをしたという程度にとどまりました。

現在のように、全国的に仏壇が行き渡るのは、
ずっとあとの江戸時代に入ってのことになります。
徳川幕府がキリシタン対策として実施した「宗門改め」により、
各家庭で仏壇の安置を義務づけたのでした。

以来、わが国では、仏壇を家庭の中心として礼拝の生活が定着していったのです。
Q2.年回法要は何回忌までと決まっているのですか?
年回法要は、亡くなられてまるまる一年目の命日に一周忌、
そして次の二年目に三回忌、
以後、同じように実質経過年数プラス1の計算で
七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌
(地方によっては、二十三、二十七回忌をつとめる)、

そうして三十三回忌、五十回忌となり、それ以後は五十年毎につとめられ、
百回忌、百五十回忌……と、いわば永久に続いていくのものなのです。

ところが、実際はどうなっているでしょうか?
五十回忌ならまだしも、百、百五十回忌ともなると、
生前、著名な人であり、歴史に残るというようなよほどの人でない限り、
つとめられることはまずないといえるでしょう。

百年も経つと、亡き人のことを知る人など、
この世に誰一人いなくなるからです。
現実には五十回忌が、一応の年回法要の区切りとされるのが、
もっとも一般的でしょう。

ただ、ひとことつけ加えておきますと、
常識的に考えて、およそ七回忌から十三回忌あたりを境にして、
故人の生前の思い出が、人々の心の中から徐々にうすれていくのも、
やむをえないでしょう。

だからつい、年回法要はもうこのあたりでいいのではないだろうか、
という心が起こってくることも予想されます。

しかし、年回法要はただ故人を偲ぶだけでの集いではありません。
故人の法事を機縁として、参詣者一人一人が仏法のみ教えに触れ、
仏恩に報謝する場なのですから、事情が許すかぎり、
いつまでも続けていきたいものです。
Q3.月忌法要はせず、祥月命日とお盆だけお参りしていただくのは、お寺さんに失礼ですか?
毎月の故人の命日にあたる日に、お寺さんにおこしいただき、
短いおつとめをしていただくことを月忌法要といいますが、
これは土地のしきたりなどによって、
たとえば大阪などのようにおつとめする習慣になっているところと、
そうでないところがあります。

しかし、その大阪においても、昨今の生活状況の変化から、
お寺さんにおつとめしていただきたくとも、そうはできない、
という家庭も増えてきました。

一例をあげれば、夫婦共働きの家庭がそうです。
まさか、お寺さんに鍵を預けておいて、どうぞよろしくなどとはいえません。
したがって、月忌法要のおつとめは有意義なことに違いありませんが、
事情によって営むことができない場合は、それはそれで仕方がなく、
お寺さんには失礼になりません。

亡くなられたその月のその日である祥月命日や、
お盆などにおまいりしていただくことで結構です。
そのうち事情が変わったときは、
お寺さんにお願いするといいでしょう。
Q4. 法事のときの着座順は?
法事の着座は、葬儀などのようにそれほど神経質に考えることはありません。
まず、導師であるお寺さんに座っていただく位置ですが、
図のように、上座に二つの座が必要です。
図
一つは読経などのおつとめをされるときの仏壇の正面。
もう一つは、おこしいただいたときにお茶の接待をしたり、
おつとめの間やあとで座っていただく席です。

一般の参会者の着座順ですが、しいていえば、
遠くからわざわざこられた目上の人や、
故人と親しかった人に、上座から順に座っていただきます。

しかし、一般の参会者の着座順を必ずそうしなければいけないかというと、
それほど厳格なものではありません。自由に座っていただいてもいいのです。
ただし、施主(主催者)にあたる人は、
法事の進行の役目から、できるだけお寺さんの近くに座るようにします。
Q5. お布施の額にきまりはあるのですか?
仏典の中に、こんな話があります。

お釈迦さまが、あるとき祇園精舎という僧坊へお説法のためにおもむかれるにあたり、
夜道を無事にたどりついていただくよう、王様やお金持ちがあり余るお金で大量に
油を買い求め、沿道に灯篭をあかあかとともしたのですが、夜半すぎ、
突如、強い風が吹きぬけ、灯篭の灯が消えてしまったのです。

ところが不思議なことに、ある貧しい老女の、日々の暮らしをきりつめて求めた、
ささやかな油で点された灯篭だけは消えず、それどころか、あたりを真昼のように照らし出し、
おかげで無事にお釈迦さまは、祇園精舎に行きつかれたというのです。

今、一般に私たちが「お布施」と呼んでいるのは、お坊さんに形にあらわすことのできない
尊い仏法を施し(法施)ていただいたことに感謝して、在家の人々が形のあるものを
施す(財施)という、この財施を指しています。

この、法施に対して財施(お布施)が行われるというのがお布施のあり方で、
今の仏典のエピソードでもお分かりのように、
お布施というものは額の多少が問題ではありません。

その人の、できるかぎり精いっぱいの「真心」がこもっていることが、
何にもまして大切なのです。

このように、お布施はお坊さん対する、いわゆる労働報酬ではありませんから、
必然的に決まりなど存在するはずはないと言えるでしょう。

ところが、お布施にはきまりがないからこそ、どうすればいいか困る……という声が
一般に強いようです。けれども、何とか客観的に現実をながめて一つの基準を
出そうとしても、それは事実上、不可能なことです。

というのは、日頃から、農作物などを機会あるごとにお寺へ届けたり、
積極的に仏法の道場たるお寺の護持を行っている所とそうでない所とでは
お布施の額のニュアンスがかなり違ってきますし、土地のしきたりによっても異なりますから、
これらをおしなべて「平均値」を仮に出したとしても、何の意味もないからです。
あくまで「精いっぱいの真心」が大切で、お布施の額にきまりはありません。
ただ、新しく移った土地で、はじめて仏事をつとめるときなどは、
参考までに、その土地の人や、お寺の世話をなさっているかたなどに
たずねてみるといいでしょう。

なお、お布施の表書きは、「御布施」か「御法礼」でいいでしょう。
Q6. 不要な念珠や切れた念珠はどうすればいいでしょうか?
念珠といっても、いろんな材質を用いたものがあります。
高級なものをあげると、瑪瑙(めのう)、
珊瑚(さんご)、水晶などの宝石類です。

これは、たとえ切れたからといってそのままにしておくことはなく、
仏壇店や念珠店で修理してもらえばいいのです。

また、材質はさほどのものでなくても、
亡き人の思い出につながる念珠も、
なるだけそうしたいものです。

しかし、修理するほどの念珠でないものや、
不要なものも中にはあるはずです。

ではこれらをどうするかといえば、
やはり処分するしか仕方がないでしょう。

ただ、念珠はあくまでも法具ですから、
そのままポイとゴミ箱に捨てるのではなく、
他の生ゴミなどの汚物と混じり合わないよう、
ビニールの袋などに包んで廃棄するよう心がけて下さい。

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